社会貢献など | ★デイリー・ロク★
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「ゴキゲンに生きる」3000の知恵
おちゃらけ家族10年間の記録まだまだ更新中

節分の夜に

子育て支援のNPOに関わっている。

ボランティア・スタッフとして
子育て真っ最中のママさんも
来てくれている。

しかし、子育て真っ最中のママさんは
子どもが突然熱を出したり
体調を崩したりして
急に休んだりすることがある。

むろんそれを責めたりはしない。

何かの予定を立てていても
それをぶちこわしてくれるのが
子どもだ。

「こんなふうに育てたい」
と思っていても、
そんなふうには育たないのが
子どもだ。

それはあたりまえのことだ。

それを思うとき、
やれ「目標」だ、やれ「成果」だ
と言ってる連中のことが
脳裡に浮かぶ。

たぶん本当は、世の中には
予定したとおりになることより
思い通りに行かないことの方が
著しく多いはずだ。

なのに、立案した計画どおりに
物事が進まないと「失敗」だとされる。

人間の真価は、
計画を立てるときではなく
物事が計画どおりにいかないときにこそ
発揮されるのに。

それこそが「人間力」なのに。

完璧な計画を立てることより、
それを実行することの方が
数段難しい。

予期しないアクシデントをはねのけて
なお計画の成就を遂げることは
さらに難しい。


「目標」だの「成果」だの言って
得意になってる連中は、
まずは子育てという大事業をやって
「成長」してからものを言うべきだ。

子育ては、自分の
人間としての至らなさを
まざまざと思い知らせてくれる
修行にも似た「苦行」である。

だが、子育てに「失敗」はない。


子育てが苦しくなるのは、
「目標」や「成果」を
持ち込むからだ。

あなたがいようがいまいが
子どもは日々成長していく。

親はその様子を見て
一喜一憂していればいい。

なまじ「目標」など設けるから
日々の子どもの成長が見えなくなるのだ。




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子育ては、究極の人道支援ボランティアなのかも知れない

2001年に書いた文章から。

平和とは
「家族の、
 今日の生活と明日の希望が
 存在する状態」

公平さとは
「意欲と能力のある人には
 まんべんなく機会が
 与えられること」


 医療和平 多国籍医師団アムダの人道支援
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なぜ産み育てるのか


上のニュースの中で、調査者は
「子供を持つことは社会的価値がある」
との回答が、インド、中国に次いで
高ポイントを記録したことを指摘。

「日本人は義務として
 子供を産もうとしているのではないか」
と分析しています。

もし本当にそうだとすると、どうもこれは
少子化によって社会が受ける
ダメージばかりが喧伝され、
政治家が
「女性はもっと
 子供を産んでもらわなくちゃ困る」
などと喋ったりしたものだから、
そんな雰囲気が広がってしまった
せいなのではないかと思います。


ですが、
たぶん子どもを育てている
多くの人もそうだと思いますが、私は
社会的義務として
子供をもうけたつもりはありません。

それが結果として、
社会的に(統計的に)
何らかの意味を持つであろうことは
承知していますけれども。


じゃあ、
なぜ私は子供を持とうと思ったのか。
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「自由と平等」スライダー

みんな知ってることだけど、
自由と平等は相反する主張ですよね。

いや「主張」じゃなくて「権利」かな。

自由に生きる権利と
平等に生きる権利は、
そのどちらもが同時に
完璧に満足されることはありません。


人生には運・不運があるし、
能力も人ぞれぞれ違うから、
時流に乗れる人もいれば
そうでない人もいる。

それをすべて公平にしようとすれば、
人々の自由をずいぶん制限しなくては
ならないことになるし、

逆に自由な活動の結果を
すべて個人の責任に帰することにすると、
いわゆる不条理な出来事に遭遇した人は
救われないことになってしまいます。


つまりは、
「ほどほどの自由」と「ほどほどの平等」を
どう案配するかが、
いわゆる政治体制の
バリエーションなのではないかと。


で、問題なのは
というか、気をつけなければいけないのは、

完璧な自由と完璧な平等は
共存できないけれど、
完璧な「不自由」と完璧な「不平等」は
ひとつの政治体制の中に「同居」できる
ということです。

たとえばこんなスライダがあったとして、


「自由」をどんどん上げていけば
「平等」はそれにつれてどんどん下がり、
「平等」を100%に近づければ
「自由」のパーセンテージが下がる。

だけど完全に連動しているわけではなくて、
一方を下げたからといって、もう一方が
それにつれて上がるわけではない。

両方を限りなく0に近づけた体制が
存在しうる…というわけです。


まあ、単なるたとえ話ですけどね、

自由と平等を享受する「主体」は誰なのか、

そして、このスライダーの「つまみ」を
握っているのは誰なのか、

「キャンセル」ボタンや
「ヘルプ」ボタンの意味するところは?

…って考えるのも興味深いかも。
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