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「ゴキゲンに生きる」3000の知恵
おちゃらけ家族10年間の記録まだまだ更新中

いいかおまえら(その2)

愛する息子たちよ。

もうすぐ社会に出なければならぬのに、
目の前の現実を直視せず
テレビゲームに耽溺したり
スカイプの会話で時間を潰している
息子たちよ。

社会というものを
必要以上に恐れているのではないか、
社会に出ることを
不安に感じすぎているのではないか、と
父さんは心配している。

そうでなければよいのだが。

だが、もしそうなら、
ちょっと聞いてくれ。


いいかおまえら、

世の中っていうのは
しょせん人間の集まりだ。

そして、
その人間たちは結託してなどいない。
みんなバラバラだ。

さらに、だいたいはまともな人たちだ。

つまり、おまえが愛想よくすれば
笑顔を返してくれるし、
仏頂面をしていれば
「なんだこいつ」みたいな目で見られる。

つまり鏡みたいなもんでな。

自分がおびえた心でいると
他人が皆悪意を持っているように
感じてしまうし、

「何でもみてやろう経験してやろう」と
好奇心を持って接すれば
いろいろ珍しい事や楽しいことに出会える。

要するにぶっちゃけ「気の持ちよう」だ。

おまえの態度ひとつで、
世の中は違った顔を見せる。

無論それですべて解決するわけじゃないし
たまにはうまくいかないこともあるが、
楽しく人生を送る方法はこれ以外にない。

かの文豪ゲーテは言った
心が開いているときだけ
この世は美しい
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花発多風雨

考えてみれば、

誰かを好きになる
ということは、

いずれ
どんな形にせよ、

その人との別れのつらさを
味わうときが来る
ということだ。


すごくすごく好きになると、
別れるとき
すごくすごくつらいだろう。

だから、

あんまり
好きになりすぎないのが
いい。

ひとりでも生きてゆけるように。
ひとりでも死んでゆけるように。

愛しすぎてしまわないように
気をつけなければ
いけない。


そう考えて、
きっと
私に冷たいのだろう、

最近の妻。

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いいかおまえら(恋愛編)

愛する息子たちよ。

女性には気をつけろ。

…と、恋愛経験の乏しい父さんが言っても
あんまり説得力はないかも知れんが。


男性に「少年らしさ」が残っているように、
女性には「少女らしさ」が残っている。

女性に対して、
恋人として・妻として・母親としての
役割を求めすぎてはいけない。

その女性が残している「少女的な」部分を
大切にしてあげなくてはならない。

つまりどういうことかというと、
時々カボチャを馬車にしたりするんだ。

意味わかんない? ははは。


それから、
女性はいたわらなければならない。

欧米のマナーで、やかましく
レディファーストが言われるのは、
男と女の関係は
本質的にDVだということを、
欧米人が気づいているからじゃないかと
父さんは思うんだ。

あ、DVっていうのは
「domestic violence」の略な。
IPV(intimate partner violence)とも言う。

セックスのシステムは
残念なことにDVありきが前提なんだ。
様々な動物の中で人間だけが
雌の感情を無視できるシステムに
なっているらしい。

それが人間の
本性なんだからいいじゃないか
と思うかも知れないが、それは違う。

自然の抑制がかかっていないのは、
人間が「社会的な」生物であるからなんだ。

人間は、欲望を理性で克服することで
「文明」を作りあげ、社会を安定させて
環境に適応しつつ生き延びる、
そういう「種」なんだ。


・・・話が脱線してしまったが、とにかく
女性は大切に扱え。

決して感情にまかせて
罵詈雑言など浴びせてはならない。

30倍ぐらいになって返ってくるぞ。


あと、結婚についてだが、
これはもう、次の格言が
すべてを言い表している。
女は、結婚したら夫に変わってほしいと思う
でも夫は変わらない

男は、結婚後も妻に変わらないでほしいと願う
でも妻は変わる

健闘を祈る。
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いいかおまえら(幸せ編)

以前書いたように、
私には二人の息子がいて
どちらももうすぐ社会人になる。

そこで、世の中を渡っていく心構えなどを
彼らに教えてやりたいのだが、
面と向かって話すのは照れくさい。

よって、とりあえず
言いたいことをここに記しておくのである。


いいかおまえら、

今日は幸せになる秘訣を教えてやる。
それは、「諦める」ことである。

…と言うと「なんだそりゃ」と思うだろう。
だが誤解しないでくれ、
「今の自分に満足してしまえ」
と言ってるわけじゃない。

「できないことを思いわずらうな」
と言いたいのである。

たとえば、
天気が悪いことを恨んでもしょうがないし、
過去の過ちをいくら悔やんでも
戻ってやりなおすわけにはいかない。

それより、今、ここで
自分が事態を少しでも動かせることに
頭や身体を使った方がいい。

そうやって、身のまわりから
良い方向へ環境を変えていくうちに、
自分の影響力も大きくなっていく。

可能性を探り、機会を見極めて
チャレンジするのだ。

自分の不幸を
社会や環境のせいにするのは勝手だが、
そうしたところで
幸せがやってくるわけでもない。

できないことを嘆くより
できることを、
自分の手の届く範囲から
変えて行かなくちゃ。

そのプロセスも幸せの一部分だ。
幸福とは、
旅の目的地のことではなく、
旅のしかたのことである。
(マーガレット・リー・ランベック)


それから、あたりまえのことだが
幸せってやつは
他人と比較して優劣をつけるもんじゃない。

だけど今の世の中、
人を競争させ優劣を付けて
選別するシステムになっているから、

ついついそれに慣らされてしまって
優越感と劣等感の狭間で
苦しくなってしまうことがある。

でも、そんなの、かまへんねん。

他人の物差しに振り回されたらあかん。
(・・・なんで関西弁?)

母さんもよく言ってたよな。
「よそはよそ、うちはうち!」


さて、父さんは子どもの頃
漫画家になりたかったが、叶わなかった。

建築家としてもエンジニアとしても、
まあそこそこ食って行けてはいるが、
鳴かず飛ばずだ。

そしてこの先も貧乏なまま、
平凡な一市民として
歴史に名を残すこともなく
死んでゆくんだろうと思う。

それだけ見るとつまらん人生だが、
これだけは言える。

おまえらの父親であれた日々、
おまえらと一緒に過ごせた時間は、
父さんにとって
最高の時間であったと。

そんなかたちの幸せも、あるんだ。


 (1996年当時の息子たち)
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いいかおまえら

君たちの時間は限られている。だから他の誰かの人生を生きて時間を無駄にしてはいけない。最も大事なことは、自分の心に、自分の直感についていく勇気を持つことだ。心や直感はすでに、あなたが本当になりたいものを知っている。それ以外は二の次だ。
(スティーブ・ジョブス)


私には二人の息子がいる。
長男はもう21歳だし、
次男は19歳だが来年から社会人だ。

で、そろそろ父親として、
人生の荒海に漕ぎ出す心構えなど、
何か言っておくべきではないか
と常々思ってはいるのだが。

実は男の子と父親ってのは、
母親をはさんで
擬似的なライバル関係なので、
妙に遠慮しあったりするところがある。

なかなか、訓辞めいたことを
面と向かっては言えない。

ぶっちゃけ、照れる。

で、まあ
ブログでとりあえず吐露しておこう
と思うのである。

えー、では…(コホン)。


いいかおまえら、

「人生とは何か」とか「生きる意味」とか
ややこしいことはひとまず置いといてだな、

生きるためにはとりあえず食わねばならん。

食うためには、稼がねばならん。

稼ぐには、大きく分けて
ふたとおりの方法がある。

ひとつは「人に雇われること」で、
もうひとつが「人を雇うこと」だ。

別に法律的なことを
言ってるんじゃくて、具体的には
「仕事の手順に従う側」と
「仕事の手順を決める側」の別ってことだ。

これはどっちがいいとか悪いとか
そういう問題ではない。

人に雇われた場合、給料が少なかったら
雇った人に文句を言えばいいが、
でも、「じゃあ仕事を減らすね」とか
言われかねないリスクがある。

人を雇った場合は、
自分の給料を自分で決められるが
雇われた人にも充分な給料を
保障しないといけない。

雇われている人は、
仕事に生き甲斐を求めなくても
他で探すことができるが、

雇っている人は、
自分の行っている事業を
生き甲斐にしないと、
そもそも自分自身が保てない。

雇われる側になれば
のたれ死にすることはあんまりないが、
雇っている側は
けっこう浮き沈みが激しい。

まあそんな違いがある。


で、おまえらは、どっちになりたいか
いずれ自分で決めないといかん。

どっちでもいいが、
注意しないといけないことが
いくつかある。

まず、
雇われる側になるなら、当然ながら
誰に雇われるかがすごく重要だ。

できたら、
優しいけど甘えを許さない人か、
厳しいけど情に厚い人を選べ。

それに、
人には「合う・合わない」がある。

「自分が悪い」と思い込むな。

逃げることを恥だと思うな。

仕事より家族を大事にすることを
恥ずかしいと思うな。

命令されても
自分の信義に照らして
筋の通らないことはするな。

雇われることは、
奴隷になることではない。

だが、雇われた場合、
仕事が生き甲斐にならないこともある。

それを悲嘆しても始まらない。

せめて仕事を好きになれ。
そして生き甲斐は他で見つけろ。
生き甲斐のない人生は寂しいぞ。

ついでに断っておくが
ギャンブルと女の話は
父さんの前ではするな。

たとえそれがおまえの生き甲斐でも。


さて、次に、
雇う側になるなら、
事業の目的を「金儲け」にするな。

「社会をよくすること」あるいは
「誰かに感動を与えること」以外に
仕事の目的はあり得ない。

お金が儲かったとすれば、それは
多くの人が事業を応援してくれている
ということだ。

そして、事業を手伝ってもらうために
雇った人々の生活に常に気を配れ。

その人達の給与を配った残りが
おまえの取り分であることを
忘れるな。

組織を維持し延命するために
当初の目的をおろそかにしては
ならない。

事業をたたむことを恐れるな。

ものには必ず終わりがある。

事業のために働いてくれた人たちは
また誰かに雇われていく。

だけどおまえだけは
もう誰も雇ってくれないだろうから
また何か始めないといけない。



さあ、どっちを選ぶ?

どっちを選んでも
幸せになれる可能性は同じだ。

従業員も経営者も、単なる肩書きだ。
この世の中での「役割」に過ぎない。

どっちを選ぼうが
父さんは別に構わない。

どっちを選んでも
おまえらがおまえら自身であることに
変わりはないのだから。
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しあわせについて考えてみる(その2)

西原理恵子の
『この世でいちばん大事な「カネ」の話』
に書かれていた、
スラム街で暮らす子供の話。
 

ゴミの集積場で
金属やペットボトルを集めて
それを売ってやっと
家族が一日食べるだけのお金になる。

貧困だけれど、彼(または彼女)は、
きっと家族そろって夕飯を食べている。

学校へも行けない。
ゴミ集積場は病原菌や危険な物質で
いっぱいだろう。

住んでいるところも
決して衛生的だとは言えず、
平均寿命もすごく短いに違いない。

でも、彼(または彼女)は、きっと
毎日家族そろって夕飯を食べている。


翻って私の周囲を見れば、
共働きや単身赴任で家族は離ればなれだ。

冷蔵庫に用意してあるおかずを
電子レンジで温めて
一人で夕飯を食べる子どもも
わりと沢山いるんじゃないかと想像する。

テレビやゲームがあるから
寂しさはごまかせるだろう。

環境は衛生的だし、
万一急病になったり怪我をしても
すぐに救急車が来てくれる。

スラムに生まれる子どもたちに比べたら
ずいぶん長生きもするだろう。

でも、彼(または彼女)は
いつも一人で夕飯を食べている。


どっちが幸せなのだろう。

もちろん、
家族で一緒に夕飯を食べることが
幸福の唯一の指標ではない。

誰もが「今日を生き延びるために」
あるいは「夢を実現するために」
必死で働いている。

しかし、子どもはすぐ成長してしまう。
一緒にいられる時間はとても短い。


とても極端な喩えになってしまうが、

生まれ落ちて以来満腹になったことがなく、
親は真面目に働こうにも職が無くて
いつも家庭は貧乏で学校にも通えず、
子どもながらに働いて幾ばくかの金を得、
それでやっと食べていけるだけの生活でも、
毎日家族そろって、

今日は誰それに親切にしてもらったとか、
友達や兄弟とけんかしたとか、
夕日がきれいだったとか、
そんなことを家族と話しながら
夕飯を食べていた子どもがいたとして。

その子どもが、何かの理由で急に
この世を後にしなければならなくなったと
したら。

彼(または彼女)の一生は、
不幸だったのだろうか。

生きていくのは
楽ではなかったろうし辛かっただろう。

だが、不幸だったのだろうか。


私は思うのだ。

「不満足な幸福」というのもあり得るし、
「快適な不幸」というのもあるだろうと。

幸福とは、
旅の目的地のことではなく、
旅のしかたのことである。
(マーガレット・リー・ランベック)

 
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しあわせについて考えてみる

しあわせ=幸福について思うとき、いつも
マーク・トゥエインの『不思議な少年』
まず頭に浮かんでくる。
不思議な少年 (岩波文庫)

この物語の最後の方で主人公が、
不幸な目にばかり遭っている老人を
「せめて余生は幸福にしてやってほしい」
と、超能力を持った少年に頼む。

するとその少年(自称天使)は
「わかった」
と、
老人が老人自身を
王様だと思い込むようにしてしまう。

老人にとって、その瞬間から
周囲の人間はみな下僕になった。
つまり老人は気がふれたのだ。

「なんてことを!」
と抗議する主人公に、不思議な少年は
「何を言ってるんだ。
 老人は確かに自分を
 幸福だと感じているではないか」
と反論する。


この老人は幸福なのだろうか。

幸福でないとしたら、
本当の幸福とは何なのだろうか。



もうひとつ、最近読んだ本
『マンガ 禅の思想』からの
エピソードを紹介する。
マンガ 禅の思想 (講談社プラスアルファ文庫)

ある男が荒野で虎に襲われ、
切り立った崖から下がった蔓に飛びつき
よじ登って難を逃れようとした。

しかし崖の上の方では、
ネズミがその蔓をかじっており
蔓が切れるのも時間の問題。

虎は下で牙をむき
ウォーッと吼えている。

そのときふと男は目の前に
みごとに実った野イチゴを見つけた。

男は手を伸ばしそれを口に入れ
「美味しいなあ」
と。


この男は、野イチゴを食べたとき
確かに幸福だったのだと思う。

しかしやがて蔓は切れ、
男は虎に食べられてしまうかも知れない。

もちろんこれは私たちの人生の寓意で、
誰もみな一寸先は闇だし、
いずれ確実に死が待っているということだ。

そんな状況で、
たかだか食べ物が美味しかったくらいで
幸福だと言っていいのだろうか。


「そう。それでいいのだ。
 それが幸福というものなのだ」
と言いたい自分がいる。

が、そういう幸福感と
冒頭の老人の幸福感とは
本質的に何か違いがあるのだろうか。

それとも同じなのだろうか。

幸福が人の脳内の状態のことだけを
指すのではないとしたら、
その他の条件とは
いったい何なのだろうか。


・・・というような
何の役に立つのかわからないようなことを
最近つらつらと考えたりしています。

オチどころか結論もありません。
備忘録代わりの記事でスミマセン。

 
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【私の好きな名言】(5)


 偶然は
 準備のできていない人を助けない

 (L・パスツール)

二十代の頃、
イラストレーターになりたくて
建築設計の仕事もやりながら
通信教育を受けていた。

作品の評点も悪くなく
コンテストに入選もした。

しかし本業がそこそこ忙しく、
作品を出版社などに売り込むほどの
余裕はなかった。

そんなある日、一本の電話。

「機械のイラストの仕事があるんですが
 やってみませんか」

通信教育の会社からだった。

「えっ」

「でも広島ですよねー」

「ええ」

「東京まで来れますか」

「えっ」

「難しいかな」

「…」

私が何度か「えっ」を繰り返して
話はおじゃんになった。

電話はそれきりだった。

私はチャンスをつかみそこねた
と言っていいのだろう。

だがそのときはっきりわかったのは、
その世界に飛び込んでいく「覚悟」が
私には欠けていたということだ。

もし引き受けていても、結局は
うまくいかなかったんじゃないかと思う。

チャンスが来たとき
迷うことなくその前髪をつかむには、
日常に埋没することなく
夢を保ち続けていなければならないのだ。

その姿勢だけが、
偶然をチャンスに変えることができる。


 心のなかに
 夢をしまっておく場所をあけておけ

 (M・L・キング)
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【私の好きな名言】(4)

次男2歳の誕生日
 あなたも望まれてこの世に
 生まれてきた
 大切な人なのですよ

 (マザー・テレサ)

わが国の文化は、人間の命を、
他の生きとし生けるものと
同列に扱ってきたような気がする。

人間の一生を
季節の移ろいにも重ねてしまうような。

誰も特別でなく、
何か「大いなるもの」の懐に抱かれて
生き替わり死に替わりしている自分たちを、
少し高いところから見下ろしているような。

仏教的諦観とでも言えばいいのだろうか。


しかし、
個人の生まれてきた意味というものを
とことんまで問いつめていったとき、
どんな答えにせよ
それを保証してくれるのは
西欧的な意味での「神様」しか
いないんじゃないかと思う。

だから、マザー・テレサのこの言葉は
個人の誕生を言祝ぐ主体としての
「神様」が存在することが
前提になっているんだろう。


だがまあそんなこたぁどうでもいい。

この言葉に巡り会ったとき
私はものすごく感動した。

この世で生きていくことを
全面的に許されたような
気がしたからだ。

同時に、私だけでなく
世界中のすべての人も
この世で生きていくことを
許されているべきだと思った。

そういう世の中であらねばならぬ
と、強く思った。


唐突だが、
中島みゆきの『エレーン』という曲を
ご存じだろうか。
エレーン
生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン
その答えを誰もが知ってるから 誰も問えない


それから、『誕生』という曲。
 
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【私の好きな名言】(3)


 新しいことを勉強してると
 世の中は怖くありません。

 何もしないで、
 じっとしているから、
 怖くなるんです。

 (林家彦六)

何もしないでいることの効用も
確かにある。

自らを行動を省みて、
おのが心の至らなさや醜さを
しっかりと見つめることも
たまには必要だ。

反面、そんなときは外の事物の
本当の姿が見えなくなる。

「あいつは俺のことを
 こう思っているに違いない」
というような妄想に
取り憑かれたりする。


だから、内省が終わったら
次は世の中に対して
心を開かねばならぬ。

要はバランスだ。

インプットばかりでも
アウトプットばかりでも、
とにかく偏るのはよくない。


「活動だけが恐怖と心配を追い払う」

「こころが開いているときだけ
 この世は美しい」
と言ったのはゲーテであった。
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