長い旅の始まりです
映画『はやぶさ 遙かなる帰還』の公開が
待ち遠しい。
一昨年の夏、
私たちに感動と勇気を与えてくれた、
決してあきらめなかった
科学者や技術者たちの姿が
どのように描かれているか。
楽しみである。
たぶんわが国には、
はやぶさプロジェクトチームのように
様々な困難にもめげることなく
学究的技術的な課題を解決するために
日々取り組んでいる人たちが
相当数いるのだろうと思う。
彼らは、《未来の卵》を温めているのだ。
が、
そのすべてが孵化するわけではないし、
研究室から出て実用化されるまでには
すごく時間がかかるものもあるだろう。
成功してもいったんは忘れ去られ、
百年後に復活するような技術も
あるかも知れない。
「目指すゴール地点に身を置き
そこから現在を見た視点で考えろ」
と、よく言われる。
だが一方で、ジョブズが語ったように
「その時はわからなかったが
後で振り返ってみれば
カリグラフィの勉強が役に立った」
という例もある。
もちろん役に立たなかった試行錯誤も
多くあるのだろうが、
最終的に世の中を構成していくのは
後者のやり方だという気がする。
その時々で自分が《燃えられる》対象に
興味を持ち、挑戦していくこと。
若い人に、そのような社会環境を
提供し続けていくこと。
これからの社会の《発展》は、
そいうところからしか生まれないと思う。
・・・と、勇ましいことを述べながら
私の心は晴れない。
核の技術開発。
元々は、資源の少ないわが国で
電力を安定供給したいという思いから
出発したものであったはずだ。
どうしてこうなってしまったのだろう。
私の考えでは、
走り出したプロジェクトを推進することが
至上命題になってしまったからだと思う。
次々出現する問題に根本的な課題を見ず、
「とりあえず」の解決策ばかり
積み重ねてきた結果ではないか。
技術にはそうした一面があることを
否定はできない。
はやぶさプロジェクトにしたって
イオンエンジンで姿勢制御したり
「とりあえず」的な解決策を試みている。
核技術開発とはやぶさプロジェクトの
最も大きな違いはなんだろう。
一方は税金がじゃぶじゃぶ投入され、
もう一方はものすごく厳しい予算で
行われたということだ。
その結果、核技術開発は
経済的・政治的な思惑が絡まりすぎて
誰にも止められなくなってしまった。
廃棄物を地下数百メートルに埋めて
それを何万年も管理するというような
どう考えても非現実的な提案が
平気で出されるまでになった。
ただ、既にもう放射性廃棄物は
発生している。
事故で汚染された瓦礫も山積みだ。
廃炉に向けての長い取り組みも始まった。
その陰には、あまたの科学者や技術者が
存在するのだろうと思う。
はやぶさには「サンプルリターン」という
ゴール(使命)があった。
原子力技術がこれから目指すのは、
逆説的だが「核のない地球」でなければ
ならない。
研究者に求められるのは、
「安全な廃炉・廃棄物処理」のための
技術開発だ。
放射線の発生そのものを制御することは
原理的に不可能だから、今のところは
「封じ込め」という
いわば竹槍みたいな原始的な武器で
困難な課題に挑戦しなければならない。
医療はもちろん地質学や
気象学などの分野も総動員すべきだし、
たぶんそうしているのだろうと思う。
そして、この難しい任務に取り組んでいる
科学者や技術者の皆さんに
エールを送らねばと考えるのは
私だけではないと思う。
待ち遠しい。
一昨年の夏、
私たちに感動と勇気を与えてくれた、
決してあきらめなかった
科学者や技術者たちの姿が
どのように描かれているか。
楽しみである。
たぶんわが国には、
はやぶさプロジェクトチームのように
様々な困難にもめげることなく
学究的技術的な課題を解決するために
日々取り組んでいる人たちが
相当数いるのだろうと思う。
彼らは、《未来の卵》を温めているのだ。
が、
そのすべてが孵化するわけではないし、
研究室から出て実用化されるまでには
すごく時間がかかるものもあるだろう。
成功してもいったんは忘れ去られ、
百年後に復活するような技術も
あるかも知れない。
「目指すゴール地点に身を置き
そこから現在を見た視点で考えろ」
と、よく言われる。
だが一方で、ジョブズが語ったように
「その時はわからなかったが
後で振り返ってみれば
カリグラフィの勉強が役に立った」
という例もある。
もちろん役に立たなかった試行錯誤も
多くあるのだろうが、
最終的に世の中を構成していくのは
後者のやり方だという気がする。
その時々で自分が《燃えられる》対象に
興味を持ち、挑戦していくこと。
若い人に、そのような社会環境を
提供し続けていくこと。
これからの社会の《発展》は、
そいうところからしか生まれないと思う。
・・・と、勇ましいことを述べながら
私の心は晴れない。
核の技術開発。
元々は、資源の少ないわが国で
電力を安定供給したいという思いから
出発したものであったはずだ。
どうしてこうなってしまったのだろう。
私の考えでは、
走り出したプロジェクトを推進することが
至上命題になってしまったからだと思う。
次々出現する問題に根本的な課題を見ず、
「とりあえず」の解決策ばかり
積み重ねてきた結果ではないか。
技術にはそうした一面があることを
否定はできない。
はやぶさプロジェクトにしたって
イオンエンジンで姿勢制御したり
「とりあえず」的な解決策を試みている。
核技術開発とはやぶさプロジェクトの
最も大きな違いはなんだろう。
一方は税金がじゃぶじゃぶ投入され、
もう一方はものすごく厳しい予算で
行われたということだ。
その結果、核技術開発は
経済的・政治的な思惑が絡まりすぎて
誰にも止められなくなってしまった。
廃棄物を地下数百メートルに埋めて
それを何万年も管理するというような
どう考えても非現実的な提案が
平気で出されるまでになった。
ただ、既にもう放射性廃棄物は
発生している。
事故で汚染された瓦礫も山積みだ。
廃炉に向けての長い取り組みも始まった。
その陰には、あまたの科学者や技術者が
存在するのだろうと思う。
はやぶさには「サンプルリターン」という
ゴール(使命)があった。
原子力技術がこれから目指すのは、
逆説的だが「核のない地球」でなければ
ならない。
研究者に求められるのは、
「安全な廃炉・廃棄物処理」のための
技術開発だ。
放射線の発生そのものを制御することは
原理的に不可能だから、今のところは
「封じ込め」という
いわば竹槍みたいな原始的な武器で
困難な課題に挑戦しなければならない。
医療はもちろん地質学や
気象学などの分野も総動員すべきだし、
たぶんそうしているのだろうと思う。
そして、この難しい任務に取り組んでいる
科学者や技術者の皆さんに
エールを送らねばと考えるのは
私だけではないと思う。
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